韓国で戒厳令が発令される背景や戒厳令の過去

政治

韓国で戒厳令が発令されました。しかし、すぐに戒厳令は解除されましたので、今はひとまずの平常時を取り戻していると言えるかもしれません。

ただ、権力を集中するために使う手段を用いたというのは、国内が非常によくない状態にあるということを想像するには十分です。そして、過去の事例を踏まえると、大統領の今後がとても心配される状態だな…と思わざるを得ません。

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韓国の戒厳令、なぜ起きたのか

ユン大統領は本当に自分の権力が脅かされていて、さらにそれは韓国の政治体制に対して大きな脅威だというふうに考えている。

野党の攻撃の背後には北朝鮮がいて、これで自分が屈服してしまうと大韓民国そのものが北朝鮮の影響下に入ってしまうぐらいの危機感。単に自分の大統領任期を延ばしたいなどというだけではなくて、そういう危機感を実際に持っていたというのは事実なんだろうと思います。

戒厳令は“クーデター”?韓国でいったい何が? | NHK | WEB特集
【NHK】1987年の民主化後初めての戒厳令。韓国のユン大統領はなぜ出したのか。今後どうなる?日韓関係は?詳しく解説します。

非常に難しい国会運営をせざるを得ない状況になっていました。加えて、野党の背後には北朝鮮の存在が居るようで、このまま野党の攻勢に押し切られると国として非常にまずいことになるという危機感からの発令という見方が今のところ主流なようです。

戒厳令とは?

韓国憲法が定める戒厳令の一種で、「戦時、事変」などの非常事態で、軍事上の必要がある場合や公共の秩序を維持するために大統領が出す。

発令された場合、憲法は「政府や裁判所の権限に関して特別の措置を取ることができる」と明記しており、行政や司法の機能を軍が掌握することになる。逮捕手続きの変更や言論・出版・集会・結社の自由を制限することも認められる。

「非常戒厳令」とは 用語解説・ニュース:時事ドットコム
韓国憲法が定める戒厳令の一種で、「戦時、事変」などの非常事態で、軍事上の必要がある場合や公共の秩序を維持するために大統領が出す。発令された場合、憲法は「政府や裁判所の権限に関して特別の措置を取ることができる」と明記しており、行政や司法の機能...

他国などの反応

国・機関 反応の概要 詳細 ソース
アメリカ合衆国 懸念と失望を表明 ホワイトハウスは、戒厳令の発令について事前通知がなかったことに驚きを示し、韓国の民主主義に対する懸念を表明しました。 東洋経済オンライン
スウェーデン 首脳会談の延期 クリステション首相は、予定されていた訪韓を延期し、最近の情勢を考慮した決定であると説明しました。 ニューズウィーク日本版
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韓国の戒厳令の今まで

過去にも戒厳令が2度発令されている

韓国での戒厳令発令は今回の事案を含めて3回目です。

それぞれに背景に違いはあれど、大統領の権力を強化して統制を測りたいという意図は同じです。

今回の戒厳令発令を合わせて計3回の主なポイントを表にまとめると下記のようになります。

比較表

項目 1972年の戒厳令 1980年の戒厳令 2024年の戒厳令
発令日 1972年10月17日 1980年5月17日 2024年12月3日
発令者 朴正煕大統領 崔圭夏大統領(実質的には全斗煥将軍) 尹錫悦大統領
背景 維新体制樹立のための権力強化 学生デモや労働運動の拡大による社会不安 国会での野党の行為を「内乱」と判断
目的 憲法改正と長期政権維持 政治的自由の抑制と軍部の権力掌握 治安維持と反国家行為の鎮圧
主な措置 国会解散、憲法停止、政治活動禁止 政治活動禁止、言論統制、大学の無期限休校 戒厳令宣布(詳細な措置は不明)
国内の反応 一部反発も大規模な抵抗はなし 光州事件など大規模な民主化運動が発生 国会が戒厳令解除を要求する決議案を可決
国際的反応 限定的な批判 国際的な非難と人権問題への懸念 米国務副長官が「ひどく誤った判断」と批判
期間 継続的な統制が続く 1981年まで続く 約2時間半で事実上解除
犠牲者
具体的な犠牲者数の記録は確認できません。 公式発表では193人とされていますが、密かに埋められた遺体や行方不明者を含めると、実際の犠牲者数は2,000人に達するとの説もあります。
最終的な展開
朴正煕大統領は1979年に暗殺され、維新体制は終焉。 1987年の民主化宣言を経て、文民政権へ移行。

合計3回の戒厳令発令の中で2回目の戒厳令が期間、規模、犠牲者ともに非常に強いインパクトを残しているため、韓国の方々はもとより、世界中の方々の”韓国の戒厳令”のイメージはそれになっているのだと思われます。

政治活動が禁止され、言論が統制され、多くの犠牲者が出るかもしれない。そういうイメージです。

その最悪のパターンは免れたようです。

戒厳令のその後

社会

1回目の戒厳令時は発令後長期にわたってその効果が維持されました。しかし、大統領が暗殺されたことにより効果が失効し、戒厳令は終了しています。

2回目の戒厳令発令時は国民の民主化運動が起き、その後、民主化宣言を経て現在に至っています。

大統領

1回目、2回目の戒厳令発令後、いずれの大統領も暗殺の危機に瀕しています。1回目は暗殺が成功し、2回目は暗殺は失敗に終わっていますが、それに伴った多くの犠牲が出ています。

そのそれぞれの暗殺事案は下記のような事件として記録されています。

  • 朴正煕大統領の暗殺宮井洞事件:1979年10月26日、朴正煕大統領はソウル特別市で、大韓民国中央情報部(KCIA)部長の金載圭によって暗殺
  • 全斗煥大統領の暗殺未遂ラングーン事件:1983年10月9日、ビルマ(現・ミャンマー)のラングーン(現・ヤンゴン)で、全斗煥大統領を狙った爆弾テロ事件が発生。北朝鮮の工作員がアウンサン廟を爆破、韓国政府の高官ら21名が死亡しましたが、全斗煥大統領自身は難を逃れた

これらの前例を踏まえると、戒厳令を出した大統領は、戒厳令を解除したから万事解決ということではなく、その後も水面下での権力闘争は続き、暗殺の危機と隣り合わせだと言えます。

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韓国の戒厳令について

今回の韓国の戒厳令について、その成立の背景や実際に使用された過去の事例をもとにして、どのような性質や傾向があるのかをそれについて触れている論文を参考にしてまとめました。

1. 歴史的背景

  • 韓国における国家緊急権(戒厳令)は、朝鮮戦争や冷戦期の影響を背景に、内乱や戦争に対応するため導入された。
  • 国際情勢(特に冷戦)と国内の権威主義的体制が非常体制の正当化に寄与した。

2. 法的枠組みの分析

  • 国家緊急権は韓国憲法に明記されており、「緊急命令」「戒厳宣布権」など多岐にわたる権限が含まれる。
  • 法的枠組みがあるにもかかわらず、これらは政治目的で頻繁に利用され、法の濫用が憲政秩序の崩壊を招いた。

3. 戒厳令の適用事例と影響

  • 1948年の麗水・順天事件、1950年の朝鮮戦争、1980年の光州事件が戒厳令の主要な適用事例である。
  • 特に光州事件では、戒厳令が民主化運動を武力で抑圧し、多数の犠牲者を出したが、この弾圧が国際的非難を受けた。
  • 戒厳令の発令により、国家は一時的な安定を得たものの、市民の自由や人権が深刻に制限された。

4. 国家緊急権の濫用と民主主義への影響

  • 朴正熙政権や全斗煥政権では、国家緊急権が独裁体制の強化と反対勢力の弾圧に利用された。
  • 国家緊急権の行使は、民主主義を大きく後退させ、憲政秩序を弱体化させた。
  • 戒厳令下での人権侵害や市民社会の抑圧は、長期的に社会不安を引き起こした。

5. 国際的視点からの比較

  • 韓国の戒厳令は、フィリピンのマルコス政権の戒厳令と同様に、権力集中や人権侵害の手段として使用された。
  • 一方、ドイツやフランスでは、憲法によって緊急権の行使を厳格に制限し、濫用を防ぐ仕組みが整備されている。
  • 冷戦期において、日本や米国は韓国の安定を重視しつつ、戒厳令を批判しながらも日韓協力を維持する戦略を取った。

6. 市民社会と民主化運動の役割

  • 戒厳令下でも市民社会は抵抗を続け、特に光州事件を契機に民主化運動が活発化した。
  • 市民の抗議行動は国内外で注目を集め、最終的に1987年の民主化宣言へと繋がり、権威主義体制が崩壊した。
  • 市民社会の力が制度改革を促進し、民主的秩序の再建に寄与した。

参考論文

現代韓国憲政史における国家緊急権

ポイント 内容
歴史的背景の把握 朝鮮戦争後の混乱や権威主義的政治体制の中で国家緊急権が使用された。
維新憲法(1972年)は緊急措置権を濫用して憲政秩序を歪めた。
法的枠組みの分析 国家緊急権には「緊急財政命令」「緊急命令」「戒厳宣布権」などが含まれる。
戒厳令は公共秩序維持の目的で使用されるが、政治目的で濫用された。
戒厳令の適用事例とその影響 釜山政治危機(1952年)や光州事件(1980年)で適用。
光州事件では戒厳軍が民衆を武力鎮圧し、国際的非難を受けた。
国家緊急権の濫用と民主主義への影響 緊急権が反政府活動や野党勢力の弾圧に利用された。
市民の自由が制限され、憲政秩序が損なわれた。
国際的視点からの比較 フィリピンのマルコス政権と同様に、韓国では国家緊急権が政治的目的で濫用された。
冷戦期の反共主義が非常体制を正当化した。
市民社会と民主化運動の役割 戒厳令に対する抵抗が光州事件後に全国に拡大。
1987年の民主化運動により権威主義体制が崩壊し、民主的秩序が再建された。

宋, 石允. 2003. 「現代韓国憲政史における国家緊急権」. 立命館法学. 2003年1号: 1-35. https://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/law/lex/03-1/sosun.pdf

大韓民国憲法上の国家緊急権制度

ポイント 内容
歴史的背景の把握 韓国の戒厳令は戦争や内乱などの非常事態に備え、国家安全保障のために導入された。
フランスや日本の戒厳制度を参考にして構築され、1950年代以降、憲法と戒厳法に明記されている。
法的枠組みの分析 大韓民国憲法第77条で、非常戒厳と警備戒厳を定義。
非常戒厳は「戦時または国家存立の脅威時」に発動され、令状制度や言論の自由を制限可能。
戒厳法が詳細な規定を設けている。
戒厳令の適用事例とその影響 1980年の非常戒厳(光州事件)は、市民の民主化要求を武力で抑圧し、国際的非難を浴びた。
戒厳の発動により、多数の市民が基本的人権を制限され、犠牲者が発生した。
国家緊急権の濫用と民主主義への影響 国家緊急権はしばしば政治的目的で濫用され、民主主義や憲政秩序が損なわれた。
特に朴正煕政権や全斗煥政権下では、戒厳令を利用して権力集中と反対勢力の弾圧が行われた。
国際的視点からの比較 韓国の戒厳令はフィリピンのマルコス政権と似ており、政治的安定の名目で人権侵害が発生。
他国(ドイツやフランス)では緊急権の乱用を防ぐための制約が憲法で規定されている。
市民社会と民主化運動の役割 市民社会は戒厳令の濫用に抵抗し、1987年の民主化運動を通じて権威主義体制の崩壊を促進。
光州事件を契機に、市民の民主化要求が国内外で注目され、体制変革の原動力となった。

方 勝柱. 2010. 「大韓民国憲法上の国家緊急権制度」. 関西大学法学論集, 第30巻第3号: 1–35.
https://www.kansai-u.ac.jp/ILS/publication/asset/nomos/30/nomos30-03.pdf.

韓国憲法における国家緊急権

ポイント 内容
歴史的背景の把握 韓国の戒厳制度は1948年の憲法制定以降、内乱や戦争などの非常事態に対応するため導入された。
特に日本統治時代の戒厳令を参考にした法律が初期に適用された。
法的枠組みの分析 憲法第76条(緊急命令)と第77条(戒厳制度)で国家緊急権を規定。
戒厳は「警備戒厳」と「非常戒厳」に分類され、前者は治安維持、後者は国防を目的とする。
戒厳令の適用事例とその影響 1948年の麗水・順天事件、1950年の朝鮮戦争、1980年の光州事件で戒厳令が発動。
特に光州事件では、民間人への弾圧が行われ国際的批判を受けた。
国家緊急権の濫用と民主主義への影響 朴正煕政権および全斗煥政権下で濫用され、独裁体制を強化する手段として利用された。
市民の基本権が制限され、憲政秩序が破壊された。
国際的視点からの比較 フィリピンのマルコス政権やドイツの基本法と比較し、韓国の制度は濫用防止の仕組みが弱い。
他国では緊急権の行使を厳格に制限する憲法規定が整備されている。
市民社会と民主化運動の役割 光州事件を契機に民主化運動が活発化し、1987年の民主化宣言に至った。
市民社会の抵抗が戒厳令の廃止や制度改革を促進。

李 元徳. 2007. 「韓国憲法における国家緊急権」. 早稲田大学比較法研究, 第22巻: 20-35. https://www.waseda.jp/folaw/icl/assets/uploads/2014/05/A04408055-00-022020251.pdf.

韓国における政治変動と日韓関係の展開

ポイント 内容
歴史的背景の把握 韓国では1979年の朴正熙大統領暗殺から1980年の光州事件まで、大きな政治的混乱が続いた。
これらの出来事は冷戦期の国際情勢や日韓協力の文脈に影響を与えた。
法的枠組みの分析 戒厳令は韓国憲法と戒厳法に基づいて実施され、治安維持や国家安定のために利用された。
光州事件では「非常戒厳」が全国に拡大し、軍の介入が市民弾圧を引き起こした。
戒厳令の適用事例とその影響 朴正熙暗殺後の混乱で1979年に戒厳令が発令され、全斗煥らが権力を掌握。
1980年には光州事件が発生し、市民と軍の衝突により多くの犠牲者が出た。
国家緊急権の濫用と民主主義への影響 全斗煥は戒厳令を利用して軍事クーデターを実行、権力を掌握。
戒厳令は反対勢力弾圧や人権侵害に利用され、民主主義が大きく損なわれた。
国際的視点からの比較 日本や米国は韓国の政治安定を重視しつつ、戒厳令の影響を注視。
特に日本は冷戦期の国際環境を背景に、韓国の戒厳令を批判しつつも日韓協力を維持する姿勢を示した。
市民社会と民主化運動の役割 光州事件を契機に韓国国内で民主化運動が活発化。
市民の抗議行動が国際社会の注目を集め、最終的に1987年の民主化宣言に繋がった。

朴 善源. 2020. 「韓国における政治変動と日韓関係の展開(1979–1981)」. 東京大学社会科学研究所紀要, 第24号: 1–30.
https://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/record/2001390/files/NCk_24_006.pdf.

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まとめ

今回の韓国の戒厳令、この記事を書いている時点では戒厳令は解除され、その後の動きが現在進行形で進んでいる状態ではありますが、過去の事例を踏まえると、次のようなことが特に印象的です。

  • 大統領がより強い権力を持ちたい(持つべき)と判断した時に発令される
  • 非常に強い権力を持つものなのに、濫用を防ぐ法や憲法の整備が為されていない
  • 国民は過去の戒厳令の記憶(特に2回目?)があるので民主主義を制限されないために強く抵抗する

今回の戒厳令も、このような特徴が見られました。

 

違いがあるとすれば、民主主義を制限させようという意図ではなく、野党の攻勢に抗うためという目的として使われているので、今までとは性質は違うと言えるのかもしれません。それでも野党に対抗するために権力を強化しようとして使ったという意味では、民主主義の制限という大枠は同じかもしれません。

しかし、野党の背後に北朝鮮の存在がちらついているのなら、そういう強権的な判断に出るのはわからないでもないよな…と思ったり。

 

いずれにせよ、与党が押されっぱなしでこれ以上抵抗する術がない状態に追いやられているぐらい苦しいのは間違いがなく、過去の事例に照らし合わせると、大統領の命がとても危険な状態にあると言えるのも同様に間違いがないのかな…

他国の内政にあれこれ言うのはされる側の気持ちを考えるとあまりするべきことではないとは思うけど、でも平穏無事に、一番犠牲の少ない着地点に着してほしいと願うばかりです。

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