タイトルでつかまれたので手に取って読んでみた。気になり手に取ったってことは自分も多少なりともそういうことを感じている部分はあるんだろうな…とか思いつつ。
そして、読み終えた今思うのは「この地獄を生きぬくスキルも攻略法もないんだな」ってこと。
運と言えば運。でも、いつどこでこの地獄に吸い込まれ刈り取られるのかはわからない。ほんと、生きるのが難しい時代になったんだな…と思う。
ステイタス競争と美徳で地獄になる
ネット、特にSNSを弄っているとやたらと「正義」を振りかざす人や「正論」をむき出す人に出会う。
少しでもコメントを書こうものなら、またそれが”隙”がある内容なら一斉に寄ってたかって正そうとする。最近、悪趣味にわざとあえて間違っていておバカなふりをしてコメントをしたら、わらわらと叩きに来る人があとをたたない。
ちょっとした言い間違い、誤解、勘違いすらも許せない人も多い。ビックリする。
そういう意味では、こうやってブログを書くこともリスクがあるんだろうな…とか思いつつ、それでもいっかとどこかで割り切りながら書いているのは己の脇の甘さなんだと思っている。
本の内容を簡単に言うと”リベラル”という発想考え方がこの世を地獄にするというもの。これは異論も何もない。しかし、だからといって止めることもできないというニュアンスがヒシヒシと伝わる。
簡単に言えば、平等で公正な世の中を作ろうよって事なんだけど、そんなものを作ろうとすることで全ての人が平たく生きづらくなっているのが今。
だからといって否定もできない。平等で公平公正なことは良い事だし、そうあるべきというのは誰も反論はできないから。でも、そうすることによって生まれる生きづらさこそが地獄であるというもの。
人間はステータスを高めることに文字通り命をかけている。人よりいいと思いたい。自分が誰かに劣るとなると気分が悪い。だから良い地位、良い評判などを得ようと必死になる。
ところがどうしても世の中には上には上がいる。そういう人を見ると気分が悪くなる。
そこでその上の存在を降ろしたいという衝動に駆られる。その衝動を叶える隙を見つけることができれば一斉に襲い掛かってひきずりおろす。正論や正義を盾に、その存在を自分より下になるように降ろす。叩きつける。
「今のSNSってそうだよね?」って思ったのなら、まさにそういうこと。
人間に元来備わる上下関係は次の2つがあるそう。
「成功と失敗」、「支配と服従」。言葉からだいたい予想はつくと思う。成功した人と失敗した人が生まれ、階級などによって支配し服従する側が生まれる。これは人間として、また社会活動として当然起こること。
ただ、その当然の中にいる失敗者や敗北者、虐げられるもの。この人たちもそれで良しと思っていない。
では次にすがるのは何かとなると”美徳”。人として良い事、正しいことを良しとする。そういう人を持ち上げ、そうじゃない人を群れから外す。これは成功を手にできなかった人も支配側に行けなかった人でも使える価値観。そういう人たちでも美徳を備えることはできる。だから敗者は美徳を追うことでバランスを取ろうとする。
その美徳は人権や平等、公平と相性がいい。だから敗者がステータス回復のために美徳を武器にするときには人権などを掲げる。反論もできない圧倒的な正論であるからこそ、その美徳はすさまじい破壊力がある。どんな成功者でも引きずりおろすことができる。
努力をして積み上げてきたことがあっても、1つの過ち、1つのうっかりで全てが台無しになることもある。
つまり、ステータスと美徳。これが今の地獄を作っているし、だからといってどうしようもできない。
何を言っているんだか・・・って思ったり、もう少し詳しくって思った人はこちらを読んでもらうほうが良いと思うので割愛するけど、美徳によって成功者を引きずり下ろすというのはまさにそう。
例えば、ダウンタウンの松本人志さん。本人は何もしていないと否定しているが、被害者と自称する人が性被害を受けましたと週刊誌で言ったことで、証拠も何もないまま表舞台から消えた。本人が自ら休養期間に入ったのだけど、そうなる理由は、迷惑をかけることになるから。
でもそこから戻れない。週刊誌の嘘か本当かわからない記事を鵜呑みにして譲らない人も居る。
なぜかは上記で説明ができるはず。成功者を引きずり下ろしたい敗北者や支配される側がいる。松本人志サンは圧倒的な成功者。その成功者を美徳を武器にして引きずりおろしたのなら、また上がることは許さない。そういう地獄なのです。
驚いたのは、今は”白人”というだけで不利な位置付けが宿命づけられているということ。
特権階級や支配階級、この世の成果や富を白人は支配してきた。だから、白人はそれ以外の人を差別し、傷めつける立場にある存在だ。そういう前提が浸透してしまい、白人というだけで差別主義者というレッテルに近いものが無条件で貼られるらしい。逆差別と言って良いような状況になっている。
この記事を書いている今、アメリカでウクライナの白人女性が列車内で刺殺される事件が起きた。防犯カメラに映るその凶行の一部始終が一気に拡散された。黒人が急に襲っただけであって、どう考えても黒人が悪いことは一目瞭然の事件である。

しかし、BBCでは黒人男性にも事情があるかもしれない。彼の心はすでに傷ついていたのかもしれないと擁護するようなことを言うコメンテーターが出ていたそうだ。通り魔の事情を考えよう、刺された側に原因があるのかもって言ったのだ。
通り魔が悪いだろ普通に!って自分は思うが、あちらでは黒人は可哀そうな人たち、白人は差別をする人たちだからという前提によって、通り魔が黒人で白人が被害者ってことはきっと何か事情があったんだろうと言い出す空気があると想像される。まさに地獄。
これを生み出す土壌となっているのが、平等や公平と唱え、権利などを過度に主張するリベラルという思想。リベラルに偏るほど、世の中は地獄になる。そう言い切るのは危険だけど、今の世の中を見ると確かにな・・・と思わざるを得ない。
世界のあちこちで今は色々な問題が起きている。とりわけ今は移民がそのテーマになっているが、移民を反対すると差別だなんだとなる。そうじゃなくて、移民を受け入れる準備が出来ていないし、良いこともあまりない。だから拒絶したい。そういう声をあげても、移民として来る人は弱者であり、その移民に対して何かを言うことは差別と言われかねない。
救いようのない気持ちで読み終えて今に至る。
書くうちに何か希望を見出せるかな・・・と思ったけど、やっぱり暗い気持ちと絶望しか残ってない。
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