とある40代一人暮らし男性のブログ

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適齢期は人それぞれ

適齢期というのは最適な時期という意味を持っていると思うが、いつのまにかそれが正解という思い込みに繋がっている気がする。

個人個人の最適解が最も多いのがその時期だけであって、適齢期の個人差はある。

そういう前提を大切にすることが、自分の人生を大切にすることになるんじゃないかな?と思う。

適齢期に縛られるのはおかしいよね?って思う理由

適齢期は個人によって違うのでは?

適齢期は人それぞれで違うのではないか?

どうしても適齢期という言葉に影響を受けてしまいがちだが、本当にその適齢期通りの人生を生きれば幸せなのか?というと、それはまた違うのではないだろうか?とも思う。

適齢期と呼ばれるものは本来は個人個人で違うものなのではないか?

個人個人が「今の自分はこれをやる時期なんだ」と見定めて没頭する。適齢期とは本来そういう意味なのではないだろうか?

でも、いつのまにか社会が暗黙のルールという意味に近い言葉として”適齢期”という言葉を使っていると思う。

適齢期で行動していたら後悔していたこともあるはず

適齢期に個人差があると思った理由は”今の自分があの時に”適齢期”という言葉を信じて行動していても、ダメになっていたな…でも、今の自分の価値感があの当時にあれば違う結果になってるかもな”と思うから。

身勝手な言い分と言われればそれまでだけど、そう思うのにはそれなりに理由もあるし、乗り越えた壁もある。その経験がなければ上手くいかなかったと思う。

 

例えば、結婚適齢期を意識して結婚しても、自分は絶対にうまくいってなかったという確信に近いものがある。”たられば”の域は出ないけど、それでもやっぱり自分は結婚をしていても上手くいってないと思う。

浮気をしていただろうし、仕事も真面目にやろうとしなかったはず。

家族がいると変わるという人も居るだろうし実際にそうかもしれないが、それでも家庭を持つことそのものに抵抗がある上に、それを大切にするための人格が備わってなかったので無理だったと思う。

今はその当時よりも家庭に対してポジティブな印象を持っているし、幾分か地に足を付けようとしているので、適齢期という意味では当時よりも今のほうが適齢期なんじゃないかな?とか思う。

適齢期は社会と共に変化するということ

そもそもとして。結婚適齢期そのものも時代と共に変化しているはず。

例えば、戦国時代は10代で結婚はわりかし普通だったので、当時の結婚適齢期は10代って事になるはず。20代で独身なんてことになると行き遅れと言われていたはず。

この価値観を今持ってきたら問題視されるはず。

結婚適齢期の公的データはないけど初婚年齢の推移のデータがあるのでそれを見ると、ここ30年で初婚年齢は上がっている。たった30年で初婚年齢が上がっている。

 

www.mhlw.go.jp

 

この画像から確実に分かるのは、初婚年齢は社会状況で変わるということ。

社会が変わったからそうなったという背景は容易に理解できるけど、社会が変わると初婚年齢も変わるんだから、結婚適齢期というものは状況によって変わるものだと考えても違和感はないはず。

だとするなら、個人個人の価値観、感覚によって結婚適齢期は変わると考えるのが自然だと思う。

結婚適齢期という言葉には出産や育児を踏まえると…ってことなんだとは思うけど、その結婚適齢期すら時代で変化するんだから、個人個人の状況や思いによって適齢期が変わったとしてもいいんじゃないかな?とか思う。

つまり・・・

”適齢期”って言葉には、同調圧力のようなものを感じざるをえない。
「社会にとっての正解はこれだ!」と言わんばかりのものを。

でも、正解なんて実際はなくて最適解ばかりなのが世の中であり人生なんじゃないだろうか?

家庭の事情などで大学に行けなかった人が、大人になり、時間とお金に余裕があるので大学に行きたいと思って行動したとしても、何も問題はない。むしろ、そういう状況が整ったときこそ適齢期だと考えるなら、それを躊躇する理由がない。

そこで「今から大学に行って何になるんよ?」みたいな適齢期基準で考える人からの批判は受けるだろうが、適齢期なんて個人個人で違うんだとすれば、適齢期基準で批判するっておかしな話だと思う。

 

今はできない、今は無理ってのは今は適齢期じゃないってこと。
でも、今ならできそうってのは今が適齢期ってこと。

そういう捉え方のほうが良いと思う。